07/11: くすりセンセーション
前回、18きっぷで行った鯖江のメガネミュージアムを紹介しましたが、その旅では鯖江から北陸本線をどんどん進み、富山まで行きました。富山の産業といえば薬。製薬メーカー「広貫堂」のミュージアムに立ち寄って、産業観光の連チャンと相成りました。

駅前から路面電車に乗り「広貫堂前」停留所で下車しまして、やって来ました広貫堂資料館。左が工場。製造工程を見学できるわけではありません。右が敷地内にある資料館。富山の製薬は藩政時代からの歴史があるので、江戸時代ふうにしたんでしょうか。

中に入ると、薬売り人形がお出迎え。館じたいは思ったより小さくて、20分ほどのビデオを見たあと、少量の展示物を眺める、といった流れで、薬に特に興味がない人は、30分も時間を見ておけば十分でしょう。


しかし、パッケージデザインや広告宣伝の歴史に興味がある人にとっては、こういうの見ているだけで楽しい。館の人によると、風邪はダルマ、胃腸薬は布袋さんや熊、鎮痛剤にはスッキリした人の顔など、デザインにも共通のルール的なものがあるそうな。

富山の薬は、元禄3年(1690)のある事件がきっかけ。富山藩主前田正甫が将軍に謁見するため控えていた江戸城大広間で、他藩の藩主が腹痛を起こしたところに遭遇、持っていた「反魂丹」という薬を飲ませたところたちどころに直り、評判に。
「コレ、もっと作って売ったらいいがいね(富山弁)」と、藩の殖産興業として奨励し、広まりました。反魂丹はもともと、岡山の医師の家伝薬だったのですが、前田正甫の命を受け、松井屋源右衛門という人が製法の伝授と技術指導に尽力したといいます。
書くのが面倒なので、詳しく知りたい人は広貫堂のホームページでも見てください。
越中富山の反魂丹の名声は高く、落語の「反魂香」というネタにも取り入れられています。ある男やもめが、焚くと死んだ人が現れる反魂香を手に入れようと薬屋に行ったところ、反魂丹をそれと勘違いして買ってしまい、死んだ妻に会えるとワクワクして焚いたら、煙がもうもうとあがって煙たかった、という噺。
書くのが面倒なので、詳しく知りたい人は三笑亭可楽のCDでも探して聞いてみてください。

お土産はもちろん薬。実用性が高くて喜ばれることうけあい。あと、来館者には栄養ドリンクがもらえます。
広貫堂ホームページ http://www.koukandou.co.jp/
駅前から路面電車に乗り「広貫堂前」停留所で下車しまして、やって来ました広貫堂資料館。左が工場。製造工程を見学できるわけではありません。右が敷地内にある資料館。富山の製薬は藩政時代からの歴史があるので、江戸時代ふうにしたんでしょうか。
中に入ると、薬売り人形がお出迎え。館じたいは思ったより小さくて、20分ほどのビデオを見たあと、少量の展示物を眺める、といった流れで、薬に特に興味がない人は、30分も時間を見ておけば十分でしょう。
しかし、パッケージデザインや広告宣伝の歴史に興味がある人にとっては、こういうの見ているだけで楽しい。館の人によると、風邪はダルマ、胃腸薬は布袋さんや熊、鎮痛剤にはスッキリした人の顔など、デザインにも共通のルール的なものがあるそうな。
富山の薬は、元禄3年(1690)のある事件がきっかけ。富山藩主前田正甫が将軍に謁見するため控えていた江戸城大広間で、他藩の藩主が腹痛を起こしたところに遭遇、持っていた「反魂丹」という薬を飲ませたところたちどころに直り、評判に。
「コレ、もっと作って売ったらいいがいね(富山弁)」と、藩の殖産興業として奨励し、広まりました。反魂丹はもともと、岡山の医師の家伝薬だったのですが、前田正甫の命を受け、松井屋源右衛門という人が製法の伝授と技術指導に尽力したといいます。
書くのが面倒なので、詳しく知りたい人は広貫堂のホームページでも見てください。
越中富山の反魂丹の名声は高く、落語の「反魂香」というネタにも取り入れられています。ある男やもめが、焚くと死んだ人が現れる反魂香を手に入れようと薬屋に行ったところ、反魂丹をそれと勘違いして買ってしまい、死んだ妻に会えるとワクワクして焚いたら、煙がもうもうとあがって煙たかった、という噺。
書くのが面倒なので、詳しく知りたい人は三笑亭可楽のCDでも探して聞いてみてください。
お土産はもちろん薬。実用性が高くて喜ばれることうけあい。あと、来館者には栄養ドリンクがもらえます。
広貫堂ホームページ http://www.koukandou.co.jp/